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旧北海道庁 赤レンガ 札幌市中央区

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旧北海道庁赤れんが前庭からのパノラマ映像
 

赤レンガ前の車道の地下には全国でも珍しい大正時代の木製ブロック舗装があります。

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市の中心部にありながら、木々に囲まれた池のほとりにいると落ち着きます。池にはかるがものおやこもいて、買い物の途中で休憩などにいいと思います。

明治21年に建築され80年間道政の中心として活躍してきたが、現在では観光名所として中には北海道立文書館が設置されている。
 2000年4月29日の道庁 こいのぼりがありました。
 2000年7月8日の道庁花は咲き、芝生も青々としてます。

4月29日の木々はまだ葉をつけていません。これから緑いっぱいになっていきます。


夏の道庁は、散歩にいいです。

北海道について百科事典で調べてみました。

面積=8万3451.59km2(全国1位)
人口(1995)=569万2321人(全国7位)
人口密度(1995)=73人/km2(全国47位)
市町村(1997.4)=34市154町24村
道庁所在地=札幌市(人口=175万7025人)
道花=ハマナス 道木=エゾマツ 道鳥=タンチ
ョウ
日本の最北部に位置し,地理的には,本州に次ぐ
第2の大島である北海道本島(面積7万8073km2)と
奥尻島,利尻島,礼文島,歯舞(はぼまい)諸島,色
丹(しこたん)島など大小の属島からなる。南は津軽
海峡を隔てて本州と,北は宗谷海峡を隔ててサハ
リン(樺太)と対しており,北東に千島列島が連な
る。行政的には,都府県と並ぶ地方自治体で,そ
の面積8万3451km2は,施政権の及ばない歯舞諸
島,色丹島,国後(くなしり)島,択捉(えとろふ)島(合
計5036km2)を含めたものである。面積は全国の
約1/5にあたるが,人口は569万2321(1995)にと
どまり,人口密度は73人/km2(施政権外の地を除
く)であって,全国都道府県の中できわだって低
い。
[沿革] かつては蝦夷地(えぞち)とよばれてい
た。1855年(安政2)江戸幕府は松前藩に松前地方
のみを残して他の蝦夷地を箱館奉行支配の直轄
地とし,59年にはこれを分割して奥羽6藩(仙台,
盛岡,弘前,秋田,会津,庄内)の領地ならびに警
衛地とした。68年(明治1)明治政府は箱館裁判所
を置き,次いで箱館府と改めて蝦夷地経営に着手
したが,まもなく榎本武揚(たけあき)率いる旧幕府
軍に占拠されて一時中断,翌年箱館戦争(五稜郭
の戦)後に開拓使を新設して本格的な開拓事業に
乗り出した。また蝦夷地を北海道と改称して11国
86郡に分けた。しかし当初開拓使が管轄したのは
このうち20郡余にすぎず,他は省,府,藩,士族,
寺院に分割支配させ,70年には樺太を管轄する
樺太開拓使を分置した。翌71年開拓使は樺太開
拓使を併合,さらに諸県(旧藩)などの支配地も管
轄下に収めた。一方,松前(福山)藩は69年館藩と
改称,71年の廃藩置県を経て弘前県(後に青森県
と改称)に併合されたが,72年開拓使に移管され
た。82年開拓使は廃止,北海道にも県制がしかれ
て札幌,函館,根室の3県となり,開拓関連諸事業
は翌年農商務省の北海道事業管理局へ移され
た。しかしこの3県1局制は成功せず,86年廃され
て北海道庁が置かれ,全道を管轄した。1947年地
方自治法施行により北海道庁は廃止,北海道は
他府県同様,地方自治体となって現在に至ってい
る。なお,1855年2月7日(安政1年12月21日)調印
の日露和親条約以来,択捉島以南が日本領とさ
れ,75年日露間の樺太・千島交換条約によって樺
太を放棄し千島全島が日本領となった。51年調印
のサンフランシスコ講和条約において日本政府は
〈千島列島〉の権利を放棄したとされるが,〈北方
領土〉の帰属の問題についてはなお未解決であ
り,詳細は〈千島列島〉の項を参照されたい。
                        狐塚 裕子
[北の風土] 北海道は,本州以南とはかなり異
なった地理的特徴をもっている。これは単に気温
が低いことに起因するだけでなく,ブラキストン線
の通る津軽海峡が動物区上の境界となっているこ
となど,氷期の海面低下とかかわる古地理学上の
理由なども加わっている。
 年平均気温は平地部で5〜8℃,東京との差は7
〜10℃に及び,最低気温は内陸盆地では−30℃
くらいで,旭川では−41.0℃(1902)を記録したこと
がある。根雪期間は12月から3月に及び,土壌凍
結は積雪の少ない東部でとくに著しく最大数十
cm に達し,オホーツク海岸や根室海峡では流氷
の接岸もみられる。夏季も道東などの太平洋岸で
は海霧が発生して陸地に進入するため,低温と日
照不足により農作物の生育が阻害される。梅雨の
現象はほとんど見られず,内陸部の夏は好天が
多く,最高気温は30℃を超え,稲など暖帯作物の
栽培を可能にしている。だが太平洋高気圧の発
達が弱い年には,オホーツク高気圧の流入が支
配的となって冷夏となり,広く冷害が発生する。内
陸部は日本最大の年間気温較差を示し,最高気
温と最低気温の差は60〜70℃に達する。全道的
に年間降水量は少なく,南部の日高・胆振(いぶり)
地方の山地は集中豪雨の多発地であるが,北東
部の北見地方の年平均降水量は800mm 以下で,
日本で最も降水量が少ない。
 北海道の地形の骨格は,東北日本弧,サハリン
弧,千島弧の会交によって形成されている。北海
道本島は地形・地質の違いから石狩‐勇払低地帯
を境に,南西の半島部と東の北海道胴体部に分
けられる。南西の半島部は広義の渡島(おしま)半
島の範囲にあたり,本州北部の延長で東北日本
弧に沿い,地形・地質も東北地方と似ている。石
狩‐勇払低地帯の東側の北海道胴体部の地形に
は,日本の他地域にはほとんど見られない次のよ
うな特徴がある。(1)緩慢な地盤運動と氷期の周
氷河作用のため,全域を通じて起伏の緩いなだら
かな山地・丘陵地が支配的で,広い台地や広大な
海岸段丘が発達している。(2)激しい造山運動で
形成された日高山脈だけは急峻な山容を示し,そ
の中央山嶺線付近は深成岩,変成岩からなって
いる。ここは氷期には山岳氷河が発達し,30以上
のカール地形が残っている。(3)低地の大部分は,
開拓以前には表層に泥炭の発達する湿原だった
ところで,高度差の少ない低地を石狩川,天塩(て
しお)川など日本有数の長流が流れて著しい曲流
を示していた。
 北海道には火山が多く,これは東北日本弧と千
島弧に沿って分布する。そのうち約30が明瞭な火
山形態を保ち,最近の噴火活動も活発である。大
規模な陥没カルデラが多数存在することが特徴
で,屈斜路(くつしやろ),阿寒,支笏(しこつ),洞爺
の各カルデラは大きな火山湖をもち,大雪山と十
勝岳には,その後の火山活動で埋積された大カ
ルデラがあったものと考えられている。これらのカ
ルデラは大量の溶結凝灰岩などを噴出して広大
な台地をつくっていることが多い。
 野生動物,とくに鳥獣には本州との共通種は少
なく,北方大陸に共通種の存在する特有の動物
が多い。ヒグマ,エゾアカシカ,キタキツネ,シマリ
ス,エゾライチョウ,コモチカナヘビ,キタサンショ
ウウオなどはその例である。氷期の遺存動物であ
るエゾナキウサギ,ウスバキチョウなどが高山帯
に隔離分布し,北方大陸とかつては陸続きであっ
たことを証明している。植物分布では津軽海峡は
境界とはならず,渡島半島には,東北地方と共通
してブナなどで代表される冷温帯植物が分布して
いる。渡島半島基部の黒松内(くろまつない)‐寿都
(すつつ)低地帯を境に,その北方にはブナ林,ヒバ
林は見られず,その南方にはエゾマツ林は分布し
ない。北海道の主要部は本州の植生とはかなり
相違し,亜寒帯樹種のエゾマツ,トドマツなどが冷
温帯樹種と混交するなど,温帯と亜寒帯との移行
地帯となっている。
[開拓の前進と交通路の整備] 明治維新以
後,北海道開拓が急速に進んだが,寒冷未開の
大原野の開発は,本州での在来技術では困難で
あった。開拓使はケプロンら主としてアメリカから
顧問・技師を招き新技術の導入をはかり,札幌農
学校を創設(1876)してクラークら外人教師による
農業技術者新指導層の養成を行った。石狩平野
の開拓と幌内(ほろない)炭鉱の開発は1882年手宮
(小伍市)〜幌内(三笠市)間の幌内鉄道(現,函館
本線など)が全通して急速に進んだ。移民の来住
のため多額の費用が投ぜられたが成果は不十分
であったため,入植士族団の成功に範をとり,規
律と団結を基礎とする屯田兵制度を採用して成果
をあげた。
 1886年道庁開設以降の拓殖方針は,資本主義
経済の確立期を迎えて,道路,港湾,土地区画測
量などの基幹開発を国が行い,民間資本の導入
と移民の流入を促進しようとするものであった。道
庁開設は拓殖史上の画期となり,当初,太平洋沿
岸部と石狩平野南西部にとどまっていた入植地
は,石狩平野北部から上川盆地に至る内陸部へ
広がった。さらにここから北見,網走に至る上川・
北見道路の完成など基幹交通路の開発が進行
し,明治末までには根室本線ほか鉄道網が伸長
して十勝平野などの開拓を促進した。一方,この
ような開拓の前進に伴って先住民族であるアイヌ
の人たちは生活圏と独自の文化を破壊された。こ
れらの人々を対象に,1899年北海道旧土人保護
法が制定された。1993年の調査では,北海道に
住むアイヌの人口は約2万3000人,1997年に〈ア
イヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する
知識の普及及び啓発に関する法律〉が制定され
て,さきの法律は廃止された。なお,〈アイヌ〉の項
目の[歴史]を参照されたい。第1次大戦中の輸出
農産物の価格高騰により〈開拓前線〉は大きく前
進し,この時期に北海道の可耕地の大部分は開
拓を終わった。第2次大戦後には,従前の技術水
準では困難であった石狩平野の高位泥炭地が開
発されて造田が進められ,昭和30年代以降,大規
模草地酪農の導入により根釧(こんせん)台地が本
格的に開発された。
 函館本線,室蘭本線,根室本線などの幹線鉄道
網は大正期に敷設を終わり,その後も鉄道網整
備が進んだが,現在は利用率の低いローカル線
が多く,バス路線への転換などが進められてい
る。幹線道路網は本州に比べて低密度であり,高
速自動車道は札幌市を中心に1997年までに長万
部〜旭川鷹栖間の道央自動車道,札幌ジャンク
ション〜小伍間の札伍自動車道,十勝清水〜池
田間の道東自動車道がそれぞれ完成したにとど
まるが,道路網整備は常に重点事業とされ,70年
代以降の幹線道路整備と除雪体制確立により道
内の交通事情は飛躍的に改善された。本州との
旅客交通は,かつてはもっぱら青森〜函館間の
鉄道連絡船によっていたが,1952年東京〜札幌
間の定期航空路が開かれ,その旅客数は70年代
半ばには連絡船による旅客数を超え,年々差を
広げていった。88年の JR 津軽海峡線開通後青
函連絡船は廃止されたが,空路の優位は変わら
ない。道内には定期空路を持つ空港が13あり,96
年の乗降客数は2200万人,その7割以上は新千
歳空港が占め,単一路線の乗客数では千歳・羽
田間は世界一であるという。この空港は道外33空
港,道内5空港と結ばれ,さらに国際的な拠点空
港としての発展が展望されて97年にはヨーロッパ
と結ぶ定期便も開かれた。東京など本州各地と結
ぶ空港には新千歳空港のほか函館,旭川,釧
路,帯広,女満別(めまんべつ),中標津(なかしべ
つ),稚内(わっかない)がある。道内空路は札幌(千
歳,丘珠(おかだま))と函館,釧路,中標津(なかしべ
つ),稚内(わっかない)などが結ばれる。
 第2次大戦後の開発で特に注目されたものに苫
小牧工業港の造成と青函トンネルの建設があっ
た。1963年に開港した苫小牧港は日本最初の掘
込み式港湾で,京浜地方などと北海道中核部とを
結ぶ近道をつくり,新工業地帯の形成により北海
道の工業化を促進しようとするもので,70年代に
はさらに新コンビナート形成を目指す苫小牧東部
大規模開発事業も着手された。しかし経済環境は
一変して東部開発計画は挫折し,石油備蓄基地
への転換もはかられた。現在新計画のもとで複合
的な開発を目指す基盤整備がはかられている。
掘込み式港湾を核とする開発では,札幌市北方
石狩市を中心とする石狩湾新港の生産・流通拠点
開発が進んでいる。青函トンネルは世界最長のト
ンネル工事として,1963年の調査坑着工時には
大きな期待がかけられていた。88年に JR 津軽海
峡線が開通したが,着工から1/4世紀を経て,本
土との交通の主役はすでに空路とフェリーに移っ
ていた。
 開拓は明治政府の政策によって計画的に進め
られたため,封建時代からの伝統の上に立つ国
内の他地域,たとえば東北地方などとは社会・文
化面でもかなり異なった性格をもっている。たとえ
ば言語は,道南を中心とする〈浜ことば〉などの方
言があり,今日広く北海道で日常用いられる言語
には若干の特有語彙があって,〈見ろ〉の代りに
〈ミレ〉,〈来られる〉の代りに〈コレル〉を用いるな
ど,活用形に特色も見られるものの,全国共通語
にきわめて近いもので,アクセントもほぼ東京式
である。内陸部大都市ではとくに共通語化が進ん
でいる。文化的伝統は未成熟であるが,農村社会
においても共同体的社会規制が少なかったため,
早くから自由の天地として進取の気風が育つ傾向
が強かった。⇒北海道開拓
[産業構成の変遷] 北海道は,日本の資本主
義経済の発達過程で,石炭,木材,農産物など原
料の生産地として,また商品の販売地として開発
が進められてきた。これは今日までの北海道の経
済や産業構成にも深い影響を与えている。産業別
就業人口の構成比(1995)は,第1次産業9%,第2
次産業24%,第3次産業67%で,全国に比べて第
1次・第3次産業が高く,第2次産業でも製造業がと
くに低率である。
 開拓初期には水産業の占める地位はきわめて
高く,1885年においても農業は総生産額の5%を
占めるにすぎなかった。開拓の伸長は産業構成
にも急速な変化を与え,97年には農牧業は水産
業に並び,1900年以降は常に農牧業が首位に立
った。このころ工業も地歩を固め,1910年には総
生産額では農業の43%,水産業の23%に対して
工業は15%となった。明治末は農業の比重が最
も高かった時期で,日本の資本主義が独占段階
に進むにつれて大工業の立地と炭鉱開発が活発
となり,他方,農業開発はピークを過ぎ,20年に
は工業30%,農業24%,水産業19%,鉱業15%,
林業9%となった。第2次大戦前後の鉱工業の伸
長,高度経済成長期以降の石炭など鉱業の衰
退,林業・水産業の停滞などの変遷があって,80
年には工業75%,農業13%,水産業6%,鉱業
3.5%,林業2.5%,94年には工業83%,農業
12%,水産業3%,鉱業1%,林業1%で,長期的
には工業の著しい比重増大と他産業の比率低下
がみられる中で農業は相対的に安定している。
[各産業の特徴] 農業では1970年代には稲
作,畑作,酪農が生産額をほぼ3等分していた
が,90年代には稲作,一般畑作,野菜・花きそれ
ぞれ2割,乳用牛を主とする畜産が4割となって,
稲作中心の本土農業との相違は一層拡大した。
また,1農家当りの経営耕地面積は約13.7ha で,
都府県平均の10倍以上,1農家当りの生産額では
3倍を超え,経営規模の大きなことが北海道の農
業の特徴である。専業農家率も著しく高く,都府県
では1960年に33%であった専業農家は80年には
12%に減ったが,北海道では50%から43%に減
っただけで,95年にいたっても,この値は変わらな
い。自然条件の劣る北海道では1戸当り経営面積
の広いことが必要で,早くから規模が大きかった
が,60年代以降他府県農業が兼業化の道をたど
ったのに対し,兼業の機会に恵まれない北海道で
はむしろ離農が多く,これによって残存農家の規
模拡大が行われたことも今日の大面積経営を成
立させた要因である。経営規模が大きかったこと
は,1900年代から馬耕などの高能率農業を成立
させ,60年代以降の農業の機械化,70年代以降
の大型機械化の時代にも先進性を発揮した。
 早くから商品としての農産物を生産する農業で
あったこと,農産物加工業との結びつきが強かっ
たことも北海道農業の特色である。新開地での農
業経営を成立させるため,開拓使は各種加工場
を設立し,原料農産物の栽培を奨励して農産物買
上制度を採った。北海道の農業は戦前の亜麻な
どや現在の牛乳,テンサイなど,大資本が経営す
る農産物加工業に原料を供給する農業の比重が
きわめて高い。北海道のおもな農産物生産高の
全国に占める割合(1996)は生乳41%,テンサイ
100%,ジャガイモ79%などとなっている。また,
明治初期には函館平野にあった〈水稲作付前線〉
は北と東へ急速に前進したが,昭和初期の冷害
を機として東から作付前線の後退が進み,米の生
産制限が行われるようになった1970年代以降で
は名寄盆地以南の西部北海道と北見盆地などが
安定した稲作地域となっている。稲作の前進・後
退や酪農・各種園芸作物の急伸などにみられる経
営形態や栽培作物の大きな変動が繰り返されて
いることも北海道の農業の特徴といえる。なお,
農村の景観で特徴的なことは,農業集落の大部
分が農家が散在する散居村であることである。
 北海道は全国有数の林業地帯で,1970年以降
の森林面積は560万 ha 前後で,総面積の7割
強,全国森林面積の2割強を占める。国有林率が
57%(都府県平均25%)と高く,人工林率が27%
(同41%)と低い(1996年現在)。森林蓄積量は全国
の17%で,これに比例して木材生産量も全国の
17%,約440万 m3に達するが,近年は外材依存
率が高まり,60%を超えるにいたった。森林蓄積
量では広葉樹の比率が高く,これは針葉樹の大
半が樹齢の若い人工林で,広葉樹は長い年月を
経た天然林が多いことによる。天然林の樹種は,
広葉樹ではカンバ,ナラ,シナノキ,カエデなどを
主とし,針葉樹ではトドマツ,エゾマツが多く,針葉
樹人工林には道外樹種のカラマツが多い。最も重
要な生産地は蓄積量の大きい脊梁山地主要部の
周辺,すなわち網走,上川,十勝,日高の各支庁
である。
 近世から明治中期にかけて,とくに松前・江差地
方で盛んであった春ニシン漁は,明治20〜30年
代に小伍,余市などでニシン御殿がつくられるほ
ど栄えたが,その後衰退に向かい,1955年以降
は激減した。北洋漁業も著しく縮小され,とくに77
年の200カイリ漁業専管水域設定は北海道の水
産業に大きな打撃を与えた。しかし,北海道は函
館,釧路,稚内をはじめ284の漁港,3万6000人の
漁業就業者(全国の12%),4万1000隻の動力船
(全国の11%。1995年)という数値に示されるよう
に大きな漁業生産力をもっている。寒流と暖流が
交錯し魚礁に恵まれた海を控えるという好条件を
生かして漁獲高,水産加工品生産額とも他府県を
引き離して首位に立ち,北海道への水揚量は178
万 t,全国の24%を占め,水産加工生産量も106
万 t,全国の19%に達している。魚種では,1970
年代以降,養殖のホタテガイが伸び,近年は生産
量でも首位に立っている。毎年の変動はあるが,
金額的には,ホタテガイ,サケ,コンブ,イカ,スケ
トウダラなどが多く,道南のイカ漁,知床半島のサ
ケ定置網,各地のコンブなど地域漁業の根幹をな
す特産も多い。ケガニ,タラバガニ,ハナサキガニ
なども特産品であるが,乱獲による資源の枯渇が
著しい。シシャモは太平洋沿岸の限られた地域で
のみ漁獲される。近年,孵化事業の成果があがっ
てサケ・マスの河川統行が増加し,とくに道東の諸
河川には大量の回帰が見られるようになり,最近
では魚価の低迷を招くほどになった。
 石炭産業は北海道の主要産業の一つであった。
開拓使は幌内炭鉱の開発を行い,小伍と結ぶ幌
内鉄道を建設した。炭鉱と幌内鉄道の経営は民
間資本に移され,1889年設立の北海道炭礦鉄道
は石狩炭田と室蘭とを結ぶ鉄道を建設し,北海道
の石炭産業に独占的地位を占めた。1906年に鉄
道が国有化され,また第1次大戦の石炭需要急増
期には中小企業と財閥系資本による炭鉱が相次
いで開かれた。北海道には石狩炭田,釧路炭田,
留萌(るもい)炭田,天北炭田などがあり,その推計
埋蔵量は全国の半ばに達し,燃料用炭のほか製
鉄原料炭の埋蔵もある。しかし1960年代の石炭
産業の不況化により炭鉱の閉山が相次いだ。最
盛期(1966)の採炭量2300万 t に比べ,10年後に
はその45%程度に落ち,95年には操業中の大規
模炭鉱は釧路の太平洋炭鉱のみとなった。閉山
が地域に及ぼした影響は甚大で,最大の炭鉱都
市であった夕張市の人口は1965年の8万5071か
ら80年の4万1715,さらに95年の1万7116へと激
減し,歌志内市は65年の2万7744から80年の1万
0178,また95年には6867となり,全国で人口の一
番少ない市となっている。
 工業出荷額は,全国の1.9%,都道府県順位で
19位にとどまるが,食品工業の出荷額は全国1位
であり,食料品,木材木製品,紙パルプなど地方
資源型工業が出荷額全体の半ばを占め,北海道
の工業が現在も資源立地型の工業を中心として
いることを示している。石油精製,窯業土石,鉄鋼
業の地位も比較的高く,総じて素材生産・低加工
工業の比重が高いが,日本工業の中核を担って
いる電子工業,輸送機械,石油化学などの立地で
は立ち遅れている。
 開拓使が設立した官営工業は24業種に及び,
ビール醸造など民営に移されたのちも発展して今
日の工業の基礎となったものも少なくない。明治
中期の繊維産業を中心とする日本の産業革命期
において,北海道ではまだ本格的な工業発展の
条件は整っていなかった。明治末期に至って室蘭
の製鉄・製鋼,江別,釧路,苫小牧の製紙など本
州大資本による近代工業の立地が進んで,素材
生産工業を主軸とする北海道工業化の基礎が形
成された。大正期には乳製品やテンサイ製糖など
の工業の立地が進み,1938年以降,化学肥料(砂
川市),繊維用パルプ(旭川市)などの工場が立地
した。北海道の大工場は,道外大資本によるもの
か乳業など農産加工業で,いずれも一貫生産工
場であるため,今日まで成熟した工業地帯の形成
は充分には進んでいない。高度経済成長期には
苫小牧工業港が完成し,その臨海工業団地にア
ルミニウム精錬,石油精製など重化学工業の立
地がみられたが,同時に製麻,製粉など開拓期以
来の農産品工業の一部は衰退した。北海道の現
在の工業立地は,地域的には札幌,千歳,苫小
牧,室蘭などの道央圏に集積し,出荷額の過半を
占めている。最近の企業立地の傾向では,札幌
周辺などでの情報関連産業の集積,道央のほか
函館,旭川などでの新技術開発・情報ネットワー
クの形成・頭脳立地構想などが注目される。伝統
工業というべきものはないが,家具,陶芸,紬(つ
むぎ)などに優れたデザインを誇る新しい工芸品工
業が育っている。
[自然公園と観光] 都府県とは異なった風土を
もち,雄大な自然景観の展開する北海道は,優れ
た観光地に恵まれている。大雪山,阿寒,支笏洞
爺,知床,利尻礼文サロベツ,釧路湿原の各国立
公園,大沼,網走,ニセコ積丹(しやこたん)小伍海
岸,日高山脈襟裳,暑寒別(しょかんべつ)天売(てう
り)焼尻(やぎしり)の各国定公園はその代表であり,
他に12の道立自然公園がある。自然公園では火
山,海岸,山岳の美観が展開し,温泉地が観光基
地となっている場合が多い。夏季の観光客が多い
のは北海道観光の特徴で,僻遠性をもつ観光地
を訪れる観光客も増加を続けている。道内旅客の
行楽は秋季に多く,最近は道外からもスキー,雪
まつりなど冬季レクリエーションを楽しむ人々が増
加している。
[道央,道南,道北,道東の4地域] 北海道は
結節点をなす主要都市とのつながりから,道央,
道南,道北,道東の4地域に分けられ,道東は,
一つの地域というよりも,北見,帯広,釧路を中心
とする三つの都市圏の集合で,北海道の長期総
合計画では,それぞれを〈オホーツク圏〉〈十勝
圏〉〈釧路・根室圏〉と呼んでいる。
(1)道央 札幌市を中心とする地域で,20の市と石
狩,空知,後志(しりべし),胆振,日高の各支庁管
内の地域を含む。道内人口の半ば以上が住み,
北海道の中核をなしている。札幌市は日本の典
型的な広域拠点都市で,道庁と北海道開発局の
所在地として道行政の中心地であるだけでなく,
国の地方諸機関,本州大企業の支社支店,多数
の高等教育機関が集中し,北海道の経済・文化の
中心であり,卸売販売額でも全道の2/3を占め
る。戦後の札幌市の人口は,中枢管理機能の高
度の集積を核として急速に増加し,全国第5位の
人口をもつ大都市に発展した。小伍市はかつて函
館市とともに道内商圏を二分した港湾都市で,
1970年ころから経済中心としての機能は札幌市
に譲ったが,札幌のベッドタウン,観光都市として
再生し,道内第7位の人口を保っている。天然の
良港をもつ室蘭市は1892年北海道炭礦鉄道(現,
室蘭本線)が開通して夕張,岩見沢と結ばれ,港
湾が整備されて石炭積出港となり,また明治末の
鉄鋼業立地により重工業都市として発展してき
た。湾口を結ぶ巨大な白鳥大橋(97年現在建設
中)の完成はこの都市に新たな発展を促す契機と
なろう。苫小牧市は大製紙工場の立地する都市で
あったが,人工港が戦後に建設され,臨海工業都
市となった。これらの諸都市を結ぶ一帯は,1964
年道央新産業都市の指定を受け,北海道工業化
の拠点となっている。夕張,三笠と岩見沢から挿
別に至る函館本線,根室本線沿いには,石狩炭
田の開発と関連して発達した都市が多い。
 道央の北部は,日本屈指の大平野石狩平野を
中心とする地域で,1900年前後から石狩平野の
造田が進み,50年以降,泥炭湿原の大規模開発
が行われた。稲作農家1戸当りの経営面積は全国
屈指の規模を誇り,高度の機械化が達成されてい
る。江別市周辺は古くからの酪農地帯で,北広島
市,恵庭市などとともに札幌市のベッドタウンとし
て都市化が進んだ。また札幌市北郊などのタマネ
ギをはじめ,各地に野菜生産地が分布する。道央
南西部の胆振地方は米作と野菜生産を主とし,南
東部の日高地方は競争馬の産地として,羊蹄山
山麓周辺はアスパラガス栽培の発祥地,余市町
は果樹栽培やウィスキーの生産で知られる。
(2)道南 函館市を中心に渡島・檜山両支庁管内
を含む。道内唯一の城下町福山(松前町)と江差町
など史跡に富む町があり,道内では半島部に位
置するため,風土,景観,歴史が道内の他地域と
はかなり異なっている。函館市は昭和初めまで札
幌市をしのぐ道内最大の人口をもつ都市で,長く
北海道の門戸として,また商業中心地,北洋漁業
の基地として発展してきた。函館平野などには水
田地帯が展開し,各地に酪農・畑作地帯がある
が,経営耕地規模は東北地方北部の農村と大差
はない。
(3)道北 行政的なつながりでは旭川市を中心とす
る6市と上川,留萌,宗谷の3支庁管内の地域を含
んでいるが,経済・文化的なつながりでは道東の
遠紋(えんもん)地方(紋別市,紋別郡)と,道央の北
空知地方(深川市,雨竜郡北部)が含まれる。旭川
市は上川盆地の中心都市として計画され,1900
年第7師団が置かれて軍都として発展し,戦後道
北の中心都市に成長した。名寄盆地,上川盆地,
富良野盆地と留萌地方の平地部には水田地帯が
展開している。上川盆地はトマトなど果菜,富良
野盆地はニンジンなどを主とする野菜産地でもあ
る。名寄盆地北部,留萌支庁管内の北部は水田
の北限地で,この北に当たる宗谷支庁管内では
草地酪農が行われ,サロベツ原野,東天北原野
など未開発の湿原や海岸草地が残されている。
(4)道東 帯広,釧路,根室,網走,北見,紋別の6
市と十勝,釧路,根室,網走の4支庁管内を含む。
この地域は道北の宗谷地方とともに1920年ころま
ではほとんど水田はなく,30年ころまでの間に急
激な造田が行われたが,その後相次ぐ冷害で水
田面積は著しく減少した。現在では北見盆地など
を除けば水田地帯は限られており,本州と大差な
い水田率をもつ西部北海道とは対照的である。道
東はさらに帯広,釧路,北見の3市を中心として,
それぞれ十勝,根釧,網走の3地方に分けられ
る。
 十勝地方で広い面積を占める十勝平野は軽い
火山性土壌に覆われ,かつては豆類単作の大面
積経営が展開したが,1970年代以降,根菜(テン
サイ,ジャガイモ)が豆類をしのぐようになった。大
型農業機械を用いて日本有数の経営規模の大き
な畑作地帯となり,防風林に囲まれた大面積の畑
が展開する。十勝地方の海岸部,山麓部では酪
農が伸長し,支庁別の乳牛飼養頭数では全道で
最大である(約21万頭,1996)。帯広市は十勝平野
一円の農産物集散地,商業中心地として,また支
庁所在地として発展し,典型的な地方中核都市と
して十勝地方における都市機能を集中している。
 根釧台地を中心とする根釧地方は夏季の低温
地域で,農業開発が遅れ,釧路湿原など未開発
の自然が残されている。1955年以降,別海町の
床丹(とこたん)で始められたパイロット・ファーム事
業は当時としては大規模酪農のモデルとなり,73
年からは隣接地域でより大規模な経営の新酪農
村建設も進んで,1戸当り乳牛飼養頭数は根室支
庁管内で97.2頭(1996)という,日本で最大規模の
草地酪農地域となっている。新酪農村をはじめ広
大な草地に大型の畜舎と金属サイロをもつ酪農
家が点在する光景が展開している。この地方では
かつては根室が中心都市であったが,大正期に
は釧路市が伸長し,根釧地方の中心都市となっ
た。釧路市は江戸時代からの船泊りであり,明治
以降港湾都市に成長し,漁業基地としての地歩を
固め,さらに炭鉱,製紙工場が立地して道東最大
の人口をもつ都市に発展した。
 網走地方は,多角経営の畑作が行われ,北見
盆地など水田率の比較的高い地域もある。かつ
ては世界市場でも屈指のハッカの特産地であった
が合成ハッカに押されて衰退した。現在では水田
の減少と酪農の伸びが著しく,北見盆地周辺の地
域ではタマネギなどの栽培が伸長している。網走
支庁所在地は網走市であるが,屯田兵村から発
展した北見市は網走地方の中心部に位置し,都
市的機能を集積して昭和に入ってからの成長が
著しく,この地方の中心都市としての地歩を固め
た。                     岡本 次郎

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04/02/08